卯 酒
朝まだき早春の海へ船外機付き二十五フィート艇「はまちどりⅡ」を漕ぎ出せば、あぁええ気持ち。
ボート針路をはるか沖に見える島（瀬戸内海家島諸島東端の上島）へ保ちつつ持参の酒缶へ手をのばす。
軽快なエンジン音。波しぶきを吹き上げ突っ走るボート。このエンジンは昨年秋に新調した。前のエンジンが使いすぎでポンコツになって、万やむを得ずなけなしのサイフをはたいて新調した。釣り場までは約十五分の航行。
早朝の酒はうまい。朝の酒のことを昔は卯酒と言った。卯の時刻すなわち午前六時に飲む酒の意だ。必ずしも卯の刻に飲む必要はなく朝早く飲むことが肝要である。これがうまいのなんの。三口も飲むと、腹中は春の暖かさ、背中はポカポカと焚き火にあぶるようである。身も心ものびのびして士気高く気合が、ガッ！と入る。さあ釣るぞ！とルンルン気分だ。アル中になりはせぬか？ 大丈夫だいじょうぶ、いつ何どきでも節酒できる良い方法がある。大酒をいさめて妻が泣く時、その涙を三滴布巾に落としてもらい、それを懐に入れておくとたちまち酒量が落ちる。現に私がそうであると、これはかの碩学南方熊楠翁の言。
釣り行きの朝は早い。ことに寒い冬などは、釣り人と卯酒とは昔からの友達。ましてや志かなわず歳食って我が身を優しく慰撫せんとする者は、釣りと朝酒が好物と相場は決まっておる。
一竿を手に大自然に溶け込み、真実に生きようとするのだ。釣りは心を潤し、心を癒す。卯酒に始まり晩酌に終わるはまさに男子の本懐である。
ただ、思うらく…、肴に不自由なきが哀しい。